ソラノカナタのプロフィール

ここでは、ソラノカナタ(@solakana148)について自己紹介します。
 

歌って踊れる発達障害ライター、ソラノカナタです

当サイト管理者の、ソラノカナタと申します。
歌うことと書くことが生きがいの、大阪府大阪市出身の40代女性です。

ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の確定診断を受けています。
知能や言語の障害がない発達障害、いわゆる「アスペルガー」です。

発達障害の特性による困難や生きづらさを抱える皆様のお役に立つべく、発達障害にまつわるあらゆる情報を発信しています。
 

生い立ち

福岡県福岡市に生まれ育つ。
幼少時より「自分はみんなと何かが違う」という違和感を抱き、生きづらさを感じながら生きてきた。
 

物心がつくかつかないかのころ、文字と音楽に強い興味を示す

幼少期からずっと変わらず大好きなもの。それは文字の読み書きと歌をうたうこと。

私があまりに文字に興味を示すので母が面白がって、ひらがなとカタカナのカードを作ってくれた。それで遊ぶのが大好きだった。

本やマンガ、新聞などとにかく文字を読むのが大好き。
その流れで自然と漢字や言語表現を覚えていった。
幼稚園にあがる前には、ひらがなやカタカナはもちろん、簡単な漢字なら読み書きできるようになっていた。その後もずっと、習わなくてもたいていの漢字の読み書きができた。

音楽も大好きで、2歳くらいから自分でレコードをかけて歌っていた。
しょっちゅうレコード針をダメにして、親に怒られた。
レコードはすでに手元にないが、やっていることはいまもずっと変わらない。

4歳でエレクトーンを習った。
おかげでこのころから基本的な音感が身につき、楽譜も読めるようになった。だが、音楽理論があまり楽しくなくて1年で辞めた。

中学時代には吹奏楽部に所属し、アルトサックスを吹いていた。
私がなんとなく演奏できる楽器はこれくらい。ギターにも挑戦してみたけど、不器用すぎる私には難易度が高い。

やっぱり、演奏するより歌うほうが楽しいと思う。
自分自身が楽器となり、世にふたつとして存在せず、カラダひとつで自分の世界を表現できる。
そんなシンプルだけど奥深い表現方法に、どうしようもなく魅せられている。
 

人間関係こじれっぱなし

家族の仲は、まったくと言っていいほどよくなかった。

家族だけでなく、友達やクラスメイトとのコミュニケーションも不得手で、喧嘩や揉めごとが絶えず、人間関係においてはずっとトラブル続きだった。

当然ながら、仲間はずれにされたりいじめられたりといったことは頻繁にあった。
 

高校生のとき、学校に行けなくなった

家に帰ったら、好きな曲をかけて大声で歌をうたう。
それだけが毎日の楽しみだった高校時代。
しかし、ある日を境に1年半くらい登校拒否に。

なぜ不登校になったのか、決定的な理由はなかったような気がする。
ガールズトークの輪に入れず友達はいなかったが、いじめられていたわけではない。
成績はわりと優秀なほうだった。

だけど、起きられなくなった。

いま思えば、発達障害が影響していたのかもしれない。
ADHDがあると睡眠障害が発生しやすいらしく、特に思春期には日中に眠気が強くなったり起きにくくなったりすることがあるという。

卒業に必要な単位も出席日数もギリギリで、なんとか卒業した。
大学か専門学校への進学を目指したが、結局は進学も就職もできず。
 

話すことは苦手、書くことは得意

私はなぜかいつも変な目立ちかたをしてしまう子だった。
「大人しい子」ではあったが「目立たない子」ではなかったと思う。

小学校・中学校・高校と、私の評価はいつもこんな感じだった。

「感情表現に乏しく口数が少ない。だが文章にするととても素晴らしく、いつも感心させられる。」

通信表には毎回のようにそう書かれていた。

特に嬉しかったのは、高校時代にとてもお世話になった担任の先生に「あなたには才能がある。あなたは作家になりなさい!」と言ってもらえたこと。
私は先生にいつも叱られてばかりだった。その先生が、とても真剣に勧めてくれたので嬉しくて、いまでもしっかり覚えている。
 

極度のコミュ障から脱却できた20代

10代のころは極度の対人恐怖症で、人とほとんどしゃべれなかった。
ひとりで出かけることもできなかったので、いつも家族の誰かについてきてもらっていた。

20歳になって、大好きな歌を本格的にやりたいと思うようになり、音楽活動を開始。
いっしょに活動してくれるメンバーをひとりで探して、バンドやユニットを組んで、ライヴをやったり曲づくりをしたりして楽しんだ。

しゃべりが苦手なのは変わらないけど、人前に出て歌ったり踊ったりするのはたまらなく大好き。
好きなことでなら、人と積極的に関わることができるようになり、この頃からだんだん人と話せるようになっていく。
 

環境を変えることで人生も変わった

20代前半で、単身大阪へ。

表向きの理由は「音楽活動のため」としていたが、実際のところは「家族から離れたかったから」が本音だったかもしれない。

大阪での生活に慣れるまではとても苦労したが、大阪で生きることで次第に生きづらさが緩和していった。自分の居場所を見つけることができたことで、ずいぶんと生きやすくなったように思う。

あのまま実家で暮らしていたら今頃どうなっていたのだろう……と思うと本当にぞっとする。
生まれ育った福岡より、私には大阪が合っていた。
大阪に出てきて、本当に本当に正解だったと思う。
 

それでも相変わらず最悪な家族との関係性

20代半ばで、家族と疎遠になった。父とだけたまに連絡を取り合う程度。
実家に残った家族も金銭的トラブル等で離散状態になり、やがて両親は離婚。

約15年ぶりに家族と再会を果たすも、その数ヶ月後に母が他界。
それをきっかけとして、いったんは家族との交流が戻る。表面上は仲の良い家族でいられたのかもしれない。しかしそれも一時的なもので、長くは続かなかった。

しばらくして、私だけが再び疎遠状態になった。

2022年の秋に、父が他界。
その直前まで、家族の誰も私に連絡をよこさなかったくらい、やっぱり家族の仲はどうしようもなく悪かった。
 

これまでにやってきた仕事

高校卒業後は定職につかず、小さな妹の面倒を見たり、親の仕事の手伝いやアルバイトをたまにする程度だった。

20代前半から大阪で仕事をするようになったが、最初のうちは上手くいかずにアルバイトを転々とした。次第に派遣社員として事務の仕事をするようになり、次第に自分に自信がついていく。

コンピューターを扱う作業が得意だったため、奮起して30代半ばでITエンジニアへ転身。
長らく非正規雇用だったが、39歳で初めて正社員として就職できた。
 

発達障害と診断されるまで

2020年春〜秋
コロナ禍で在宅でのリモートワークがメインとなり、それまで以上にコミュニケーションに難が目立つようになる。タスクを上手くこなせなかったりトラブルに発展したりと、仕事上での困りごとが増える。

2020年冬
仕事を円滑に進めることがさらに困難になり、大きなストレスを感じるように。この頃から、自分は発達障害なのではないか?という疑念を持つようになる。Webや書籍で調べるうちに、疑念は確信へと変わっていく。

2021年春
新しい顧客先での仕事がスタート。
一日でこなすべきタスクが多量のため、マルチタスクをやりすぎてしんどくなる。
自分にまったく合わない業務内容でつらかったが、仲間と協力して4ヶ月間なんとかやりきった。

2021年夏
疲れとストレスが溜まりすぎて仕事がつらくなり、上司に相談。会社を半月ほど休む。
QEEG検査(定量的脳波検査)を受け、中等度のASDとADHDであることが判明。
この時点では、仕事ができているからという理由で「グレーゾーン」と診断された。

2022年春
仕事の量が増え始める。残業も増え始める。長時間マルチタスクをやりすぎてしんどくなる。

2022年夏
オーバーワーク状態に加えて過度なマルチタスクをやり続けたことにより、だんだん仕事をするのがつらくなる。
タスクがいっぱいになると頭がパンクして混乱してしまい、仕事だけでなく日常生活にも支障が出るようになった。泣いたり喚いたりしながら仕事をすることも多々あった。
メンタルクリニックを受診したところ適応障害の診断を受け、会社を休職することに。
発達障害の専門クリニックにも通院し、WAIS-Ⅳ(ウェクスラー成人知能検査)等の精密検査を受けた結果、ASDとADHDの確定診断が下りる。
 

好きなこと、得意なこと

・音楽を聴くこと
・歌をうたうこと
・本を読むこと
・文章を書くこと
・スポーツを観ること
・人前で歌ったりパフォーマンスすること
・ひとりで行動すること
・細かい音や声を聴き分けられる(聴覚過敏は私にとってはプラスです)
・声を聞くと、その人の感情や体調がほぼわかる(空気は読めませんが、声が読めます)
・論理的なことや科学的なこと etc…
 

嫌いなこと、苦手なこと

・マルチタスク(そもそも脳はマルチタスクに適していません)
・長時間じっと人の話を聞くこと(長時間の会議は拷問です)
・イレギュラーな対応
・片付け、整理整頓
・家事全般(超絶不器用で何をやらせても危なっかしいようです)
・蛍光灯の光やパソコンのディスプレイなど眩しいもの(光過敏です)
・低気圧(天気の悪い日は体調が悪くなります)
・知らない場所にひとりで行くこと(絶望的な方向音痴です)
・待つこと、待たれること
・非論理的なことや非科学的なこと etc…
 

どうせならアスペルガーらしく生きてやれ

根が明るく、とっても前向きな性格なので、一見マイナスに思えるようなことでも絶対にプラスにしてやろうと思って生きています。「転んでもタダでは起きない!」が私のモットーです。

アスペルガーであることは、まぎれもなく私のアイデンティティー。
決して「弱点」ではなく、私にとっては「強み」ともいえます。いまでは誇らしくさえ思えます。
せっかくアスペルガーとして生まれたのなら、アスペルガーらしく楽しく強く逞しく生きてやる!!!


これが私の人生目標です。
 

こんな私ですが、よろしくどうぞ。

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